「あ〜、大人が恋愛する映画が見たいなぁ」と思ってアマゾンプライムなどで探しても、

なかなか見つからないので、「マディソン郡の橋」を25年ぶりに観た。

この作品は、たしか、ロバート・ジェームズ・ウォラーが書いた原作のほうを先に読んでいたけど、

映画化にあたり、そのイメージの完璧な一致性にびっくりした作品だ。

 

 

アイオワ州に住む主婦フランチェスカと、世界中を飛び回るフォトグラファー、ロバート・キンケイドのたった4日間の、

はっきり言ってしまえば「不倫の恋(しかしそれは生涯に1度の確かな愛)」の物語で、1995年の作品なんだけど、

その頃の自分としては「不倫であることの苦しさ」のほうを見るのが辛くて…

 

…でも、舞台は一軒家の農家と、その周辺の街だけ、

登場人物もほぼ主人公たちだけの、出来事やストーリー展開のない「狭い世界」での恋愛話なのに、

その「人と人との出会いが恋愛に発展していく様のこまかな描写」が、とほうもなく秀逸で、

小説も映画も、とても好きだった。

さすが、世界的に大ヒットしただけのことがある。

(ロバート・ジェームズ・ウォラーの本はもう1冊買った)

まだ観ていない人はおすすめだ。

 

そうそう、出逢いと恋愛って、こういうふうに始まるんだよなー、こういうふうに深まるんだよなー、

というドキドキワクワク感が、

主人公たちが動物的な行動をする若者ではないだけに、よりリアルに伝わってくる。

さすがクリント・イーストウッドと、メリル・ストリープ。

名優って、だてに名優の名を冠しているわけではないですね。

 

原作の中ではフランチェスカは45歳、ロバートのほうは51歳なんだけど、

映画の中のクリント・イーストウッドと、メリル・ストリープはどうなんだろ?

…ググってみました。メリル・ストリープは撮影時44歳で、

クリント・イーストウッドは、なんと65歳です!

 

しかし、この65歳の劇中のクリント・イーストウッドの男の魅力はなんなんでしょう!

たしかに初老なのかもしれません。

でも、柔和で、自由で、ユーモアがあり、体も鍛えられていて、

そして、なによりも「紳士」です。

 

年齢を重ねるごとに、周囲に対して「こういう歳の重ね方をしている男性に憧れるな」というモデルが

日本の中でほとんどみつからない自分にとって、

マディソン郡の橋の中のクリント・イーストウッドには惚れました。

 

ちょっとでも気を抜けば、フィジカルは加速度的に劣化して、ハゲて太って、

目的もなく過ごしてパチンコにハマって、横柄にふるまうことが「普通」の年齢の中で、

男性として輝くためのひとつの希望、

それが「ジェントルであること」だと思います。

(もちろんフィジカルは鍛えてね)

私は、そう、なりたい。

たとえ中年男性であっても、経験を糧にした心や体や収入なんかに余裕がある本物のジェントルマンは、

「人間」という大きなくくりの中でも、私は20代アイドルと比べても見劣りのしない「魅力的な人間」だと感じます。

この映画の中で、クリント・イーストウッドが、それを証明してくれています。

(20代アイドル主演映画の何十倍もの興行収益を上げてます)

 

映画の中盤から重くのしかかってくる「不倫」という問題は、

私自身としてはあまり好きではないので、それを完全に除外した状態として、

映画の序盤、出逢いから、二人が心を開いて、惹きつけ合うシーンまでを観ていると、

「ああ、もういちど誰かを心の底から愛してみたい。愛されてみたい」という気持ちがフツフツと湧いてきますし、

「よし、生涯にいちどの愛、この人の会うために自分は生まれてきたんだ」という女性を、

必ずやみつけてやるぞ、という気持ちを強くする自分を感じます。

 

   *

 

でも、現実はそんなふうには簡単には見つからないんですよねー。

(劇中でも「そのような恋が存在することすら知らない人のほうが多い」と言ってました笑)

 

もちろん身近でも探していますが、コロナ化の現在ではほぼ完全に「婚活サイト」にシフトしていて、

昔だったら抵抗感はあったんですが、今はありません。

なにしろ街中の女性はすべてマスクをしているので、心ときめく出逢いの確率は激減しています。

なので今後、「サイトで恋人をみるける」ということは、むしろ一般化するのではないかと思います。

 

しかし、

実際問題、婚活サイトの中でも、マッチングまではうまく行くんですが、

その先で挫折する人が多いです(マッチングすらしない人も多いみたいです)

 

たとえ、人気の高い美しい女性とやりとりを重ねていても

「このサイトでゴールインする人なんて、ほんとにいるの?」という話題になると、

共感されることが多いです笑

 

それはなぜだろう? と思い、

20代30代(10代の時は当然)何も考えずに、まるで本能のまま動物のように恋愛感情に突っ走っていた時期を振り返り、

恋愛というものの構図、成り立ち、成功する要因、などを科学する気持ちで

よーく考えてみると、

そこ(婚活サイト)にはひとつ、大きな問題があることに、私は気づきました。

 

   *

 

まず、

人は、どのように恋に落ちるのか。

その恋が成就して「愛」にまで発展するためには、どのような過程を踏むのか、を、

これまでの通常の恋愛と、婚活サイトの恋愛のやり方を見比べてみると、

 

【20代の恋のしかた】

(1)

学校とか職場とか近所とか友人関係とかで「見染める」

つまりその女性の「フィジカルな吸引力」に捉えらえる(すでにここで恋に落ちることもある)

(2)

会話などを重ねるうちに、その人の人格や考え方、価値観などのフィーリングに同調する

相手からも同様に思われていることに気づいて有頂天になる

(3)

それらの会話の中から「住んでいる場所」とか「趣味」とか「年齢」とかの

「条件や情報」を得て、それが一致していると(ほんとは一致してなくてもいいのに)

「運命の人だ」などと思い込む。(あ、それ、俺も好き!私も!みたいなの、経験あるでしょ?)

 

…ところが婚活サイトとなると、その順序が、まったく逆になるんです。

すなわち、

 

【サイトを利用した恋のしかた】

(1)

「条件検索」や「プロフィール」や「コミュニティ」などで、まずは

年齢や、居住地区や、趣味や、仕事や、収入などの「条件」が合致する人を選び、

さらにそこから選別する

(2)

選別された方に「興味がある旨」の「いいね!」を送信して、メッセージを送り、

マッチングしたなら、やりとりを開始して、考え方や価値観のフィーリングを、

あくまでもTEXT上でさぐりあう

(3)

それでやっと「お会いしましょう」となった時、(すぐお会いしたがる方とは価値観が合わないことが多い)

その時になってはじめて、

20代の時には、いちばん恋愛で重きをおいていた

「フィジカルな吸引力」が、あるか、ないか、がわかる。

(でも「ない」ことのほうが圧倒的に多い)

 

…という感じなんです。

 

簡単にまとめると、

恋愛の構図にとって必要なものは3つあって、

「フィジカルな吸引力」

「コミュニケーションのフィーリング」

「諸条件」

なんだと思うんですけど、

 

通常の恋愛は、

「フィジカルな吸引力」→「コミュニケーションのフィーリング」→「諸条件」

で進んでいくんですけど、

サイトだと逆進行で

「諸条件」→「コミュニケーションのフィーリング」→「フィジカルな吸引力の確認」

なんですよね。

 

若かった頃は、バイト先のかわいい女の子の、

名前も、年齢も、趣味も、家族構成も、声すらも

何も知らずに恋に落ちていたのに、(で、長距離恋愛になったりする笑)

 

今のサイトでの恋愛事情では

まずはそこから初めてしまうので「ドキドキ」ない、まるで会社の新卒者採用面接みたいなカンジなんですよね。

 

で、「コミュニケーションのフィーリング」が大事なのは、誰にも異論はないでしょうけど

私は「フィジカルな吸引力」も、絶対的に大事で、
それはしかたがないと思ってます。

 

たとえば今まで6人の方とお会いして、

「趣味や価値観なども一致している」「会話もけっこうはずむ」「美人と言っても過言ではない」

という6人だったんですけど、

やっぱり「フィジカルな吸引力」をそこまで感じませんでした。

美人ならいいわけじゃないんです、

ちょっと崩れてていても(失礼!)

その笑顔を見ていると「好きだ! その笑顔、いつまでも見ていたい! また逢いたい!!」

って思えるか、どうか。そこが恋愛に発展するかどうか、だと思います。

 

ひとことで言ってしまえば「また逢いたい」と、毎日思ってしまう人を、人は好きになるのでしょう。

 

「いい人だけど、生理的に無理。ハグはできない」という人とは付き合えませんよね?

でもサイトだと、実際に会うまでの時間が長すぎて、

実際に会ってみても(たとえ写真をあらかじめ見ていても)

「フィジカルな吸引力」を感じる人に会える確率は低くて、

そうするとまた「イチからやりなおし」になるので、

ものすごく時間がかかります。

 

おそらく100人くらいの人とはお会いしてみないと、

恋愛は成就しない気がいたします。

 

そんなことを、最近、ふと、思いました。