かなり昔、マシュー・ブロデリックが主演した映画で

「フェリスはある朝突然に」というのがあったけど(内容も忘れてるけど)

 

モトギはある朝(というか今朝の6時半に)突然に飛び起きて、

思った。

 

それは、あまりにも覚醒した瞬間の思いだったから、

「思考」ですらなかったように思う。

 

「ひらめき」のようでもあり、

「啓示」のようでもあり、

「ハタと膝を打つ瞬間」でもあり、

「なんでこんなことに気づかなかったんだろう?」ということでもあり、

う〜ん、

なんというか、そういうのともちょっと違うようなカンジでもあるんだけど、

 

とにかく!

今朝の6時半に、突然、パチッと目が覚めて、

その瞬間に、天井をみつめて、

思った。

覚醒した瞬間なのか、

もしかしたらまだ目覚めていない時からの

脳みそ内のシナプスの電気信号だったのかもしれないけど、

とにかく思った。

 

オレ、幸せになってもいいんじゃね?

 

オレ、今以上に、どれだけ幸せになったとしても、

何も悪いことはなくね?

 

どれだけ稼いでも、

あるいは労働をひかえて楽しみに時間をどんどん費やしても、

恋人を作っても、

どれだけ愛し合っても、

結婚しても、

世界中を放浪したとしても、

世界中のリゾート地を彼女(妻)とめぐり歩いても、

温暖な南国に移住してノンビリ暮らしても、

新たな夢を持ったとしても、

それに情熱を傾けても、

それがオヤジだとしても、

よくね?

 

たとえ離婚して子供がいたとしても、

作家人生で挫折しちゃって読者や編集者をガッカリさせちゃった過去があろうとも、

それでも、全然悪いことなくね?

 

それによって誰かに迷惑をかけなければ、

どれだけ幸せになっても、よくね?

 

それは、「幸せを “求めても” いい」というのとはちょっと違う。

そんな、ほんのちょっとの要求の承諾ではなく、もっと全面的な承認であり、

「幸せに “なって” いい」が正解だ。微妙な言葉のニュアンスだが、はっきりと違う。

 

なにしろそれは、ある朝突然目が覚めた瞬間のことだったから

「その結論がアタマにひらめいた前段階」のことはまったくわからない。

なぜ、そう思ったのかが、わからない。

おそらく夢と関係があったのだろう。

そう! それは無意識からの信号だったのだ。

 

オマエは、今後も、これまでも、どれだけ幸せになろうとも、

それは悪いことではない。

オマエの自己肯定感の低さも、ウツになりやすい気質も、

すべてそれは「オマエの思い込み」なのだ。

「苦しんでいないと悪いことになる」と「深層心理で」思い込んでいるにすぎないのだ。

 

「幸せを謳歌すると天罰がくだる」という嘘の思い込みにすぎないのだ。

人は、幸せになるために生まれてきたのだ。

「幸せになること」は、むしろ使命なのだ。

だから、オマエはどれだけ幸せになってもいいのだ。

むしろ「幸せになることだけ」を考えるべきなのだ!

 

そしてその「思い込み」というのは、

前頭葉で考えたりする「思考」による思い込みではなく、

深層心理の、深〜い深〜いところによる思い込みなのだ。

そうだ、そうだ、オレはこれから、どれだけ幸せになってもOKなのだ!!!!!!

ありがとう!

サンキュー、世界!

 

…と、モトギはある朝、突然に思ったのだ。

 

 

 

イソップ童話にモノ申す。

「アリとキリギリス」の話を小学校の教科書に載せた人にモノ申す。

 

キリギリスは、断じて、悪くない。

アリも、キリギリスも、どちらも悪くない。

凍え死ぬことのない南国のキリギリスは毎日、毎晩、歌を歌って暮らしてていい!

(秋のうちに移動しよう)

それが、キリギリスなのだから。

 

おい、イソップ。

キリギリスのアイデンティティを全否定するんじゃない!

苦労して、苦しんで、生きていないと痛い目にあうという「残酷なテーゼ」を

幼い子供たちのアタマに叩き込んで、一生苦しませるんじゃない!

 

イソップ童話は、全世界で何万人、何十万人、何百万人、

いや、何千万人、

もしかしたら何億人もの鬱による自殺者を作り上げているかもしれないんだぞ!

スターリンよりも毛沢東よりもヒットラーよりも多くの人の命を奪っているかもしれないんだぞ!

恥を知れ!