友人がヘッドスパと瞑想を組み合わせたお店を開業したので、

ヘッドスパがてら「瞑想」というものをやってみた。

 

「瞑想」というものが「いいよいいよ」という話はよく聞いていたけれど

なかなか集中ができないし、習慣にならないし、

なによりも「やり方」がわからない。

 

でも初心者は「呼吸を観察することだけ」に意識を集中するんだ

と教わってやってみたら、

これがなんとまあ、アタマの中がスッキリ!

 

なるほど、みんなが「いいよいいよ」というだけのことはある。

酒とか精神安定剤とかってアタマの回転数を落として、

リラックスさせたり眠らせたりするのに、つい飲んでしまいがちだけど、

「瞑想」というものが習慣になればお払い箱になれそうだ。

 

今日は瞑想、2日め。

さあ、持続可能か、どうか?

 

 

 

 

なんか最近、本当に人生が変化している。

焦りやイライラやストレスがめっちゃ減って、

欲に振り回されることもなく、自分を責めたり、人を悪く思ったりすることがかなりなくなった。

ウツとかになる気配も、ないなぁ。

 

このあいだ「ああ、どうせ自分は…」みたいなことを考えちゃったことがあって、

その時に「ハッ!」と思った。

うわ、この感情、めっちゃひさしぶりやんけ!

 

自己肯定感がぐんと増しているのだろう。

自己憐憫という習慣が、なくなった。

 

 

SNS全般に言えることだけど、

こういう「人前で書きたい。自己存在をアッピールして誰かと繋がりたい」

という欲求は、「マズローの欲求五段階説」で言うところの

「社会的欲求(社会とつながりたい)」と「承認欲求(人から認められたい)」という段階そのものなので、

ある意味「若い価値観」だと思う。

 

私はもう「人と優劣を比べて幸福を感じる」という世界から「イチ抜けた」と決めて、

それでめっちゃ苦しみが減っているので、

なんだか、あまり興味を感じない。

お金持ちも有名人も、ぜんぜん憧れない。ほどほどに持ってりゃ、それでいい。

 

瞑想とか量子力学とか脳科学とか宇宙とか、そういうまだ知らない世界を探求して、

知り得たことが、そのまんま死んだら消えてなくなっても、いい。

 

ああ、発見の喜びは、まだぜんぜん健在だな。

…というか、人生の中でいちばん今が勉強してるかも。

 

あ、いや、訂正。

野心、ひとつだけ残ってた…

それが「自己実現」ってヤツか…。

 

 

 

 

 

でも、それと同時に、こうも思う。

これって「野心」がゼロになったのでは?

まるでお坊さんか仙人か老人にでもなった気分だ。

 

少年よ大志(野心 ambition)を抱け、というけれど、

 

幸せになろうとして自己肯定感を上げたあとに待っている世界に生きている人を

世間のみんなはなかなか認めたがらない。

 

たとえば、老人は、本当の幸せの方法を、ごく自然に獲得している人が多いような気がする。

近所のオバちゃんとか、幸せそうだ。

でも世間は老人の世界を嫌ってる。

 

「いつまでも、決して満たされることのない幸せ」を必死で追い求めて

「いっときの成功を掴んでいる、その瞬間の人」だけ賞賛されている気がする。

 

 

年配者の薄毛の人に朗報!

「リアップ5」は、効く。

薄毛、というか、地肌が見えやすくなったのが、なくなった。

2ヶ月で3本、2万円ほどかかったけど。